グランドピアノ

 
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 ピアノの
歴史

 



ピアノは鍵盤楽器の一種である。据え付けて用いる大型の楽器で、横に並んだ鍵を指で弾くと、鍵に連動したハンマーが対応する弦を叩き、音を出す。音域が非常に広く、標準的には88鍵を備える。クラシックオーケストラの持つ音域のほぼ全てを内包しているので、西洋音楽のほとんどの曲は、ピアノ曲に編曲して演奏することができる。

歴史

ピアノが発明される前の弦楽器系鍵盤楽器は、チェンバロとクラヴィコードであった。前者はある程度の音量は持ち合わせたものの、ペダルで何段階かの強弱を出せる他は自由に強弱を演奏することは困難であった(強弱を付けているように聴かせる演奏技術はあったが)。一方、クラヴィコードは強弱が自由に付けられた(さらに打鍵した後で鍵を揺らすことによってさらに表現を付けることができた)ものの、音量が得られず、狭い室内での演奏にはよかったものの、ある程度以上の広さの空間で演奏するには耐えなかった。そこで、クラヴィコードに音量を得させるために、より弦に張力を与え、その張力に耐えるフレームを用意したことにより、チェンバロとクラヴィコードの両方の欠点をなくして、音の強弱を表現が自由に行えながら、より広い演奏会場でも音が届くようになったのが、この楽器である。 17世紀後半にクリストフォリ (Bartolomeo Cristofori) が発明したとされる。

時代ごとの作曲家に照らし合わせると、バッハは死の前年(1749年)に、発明されたばかりの新楽器ピアノに接する機会があったと言われる。その子ヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンに在住中、少年時代のモーツァルトをひざの上に乗せて、二人の連弾でピアノを弾いたという。またモーツァルト本人は3歳の頃からピアノを弾き始め、6歳でマリア・テレジアの御前で演奏した。この頃がピアノの普及期であったと言える。

日本には、シーボルトによって初めて輸入された。山口県萩市の熊谷美術館(くまやびじゅつかん)にはシーボルトより贈られた日本最古のピアノが現存する。

名称

発明当時の正式名称はイタリア語でグラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ (Gravicembalo col piano e forte) で、クラヴィコードの表現力とグラヴィチェンバロ(チェンバロのこと)の音量を併せ持ち、弱い音(ピアノ)も強い音(フォルテ)も表現できることに由来する。

各言語での呼称は、次のようである。

  • 伊:piano、pianoforte

  • 英:piano、pianoforte

  • 独:Klavier、Hammerklavier、Flügel

  • 仏:piano

  • ハンガリー語:Zongora

一般に、楽譜には「ピアノフォルテPianoforte」または「フォルテピアノfortepiano」、略して「Piano」や「pf」と表記される。ただし、ドイツ語では「ハンマークラヴィーアHammerklavier」がピアノを意味し、より一般的には「Klavier」(鍵盤の意味)と呼ばれる。

現在あえてフォルテピアノと呼ぶ場合は古楽器(およびその復元楽器)を指す。モーツァルトなどピアノが発明された初期の作曲家の作品を当時のスタイルで演奏する際に用いられる。

 

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日本の歴史的表記「ピヤノ」

日本では、戦前の文献では「ピヤノ」と書かれたものが見受けられる。一例として尋常小学校の国語の教科書に「月光の曲」と題されたベートーヴェンの逸話が読み物として掲載されていたことがあるが、このときの文章は「ピヤノ」表記であった。またオンド・マルトノの開発者モーリス・マルトノが1931年に来日した際、新聞に「電波ピヤノ」という紹介記事が書かれたことがある。

イタリア語ではiaの表記を、日本語表記ではほとんど「ヤ」音に近い音で発音するため(例:人名の「ルチアーノ」を「ルチャーノ」と表記するなど。ルチャーノ・ベリオの項を参照)、戦前にまだカタカナ語が定着していなかった時期では、「ピヤノ」という表記は発音に即して考えれば必ずしも誤りではなかったと言える。

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